僕の語学史Ⅳ
- 語楽舎
- 4月12日
- 読了時間: 4分
流暢な日本語を話すウクライナ人の先生との週1回のマンツーマンレッスンは、順調そのものだった。
レッスンを重ねるうちに、僕のロシア語はメキメキと上達した。ある程度の日常会話なら、なんとか形になるようになってきた。キリル文字も、もはや苦労していたころが懐かしいくらいにすらすら読める。半年前に「もう無理かも」と諦めかけていた自分が信じられなかった。
そんな僕を見た先生が、二つの提案をしてくれた。
一つ目は、ロシア語検定5級の受験だ。「このまま続ければ十分狙えるレベルだよ」と先生は言ってくれた。ロシア語検定は、英検やTOEICのようにロシア語の実力を公式に証明できる資格だ。5級は入門レベルだが、独学に近い形でここまで来た僕にとっては十分に意味のある目標だった。
二つ目は、来年度からの正規授業への編入だ。ただし、これには少々複雑な事情があった。僕の学部では、専攻言語以外の授業に出ることが原則NGだったのだ。なぜそういうルールなのかは正直よくわからないが、とにかくそういう決まりで、フランス語専攻の僕がロシア語の授業に出ることは認められていなかった。
でも先生は、「自分の授業なら、単位は出せないけど特別に聴講させてあげる」と言ってくれた。単位にはならないが、授業に出ていい——つまり、週1回のマンツーマンに加えて、正規の授業にも参加できるということだ。なんともありがたい話である。先生の懐の深さに、改めて感謝しかなかった。
僕は検定受験を真剣に考え始めた。来年度からは授業にも出よう。ロシア語、本格的にやるぞ——そんな気持ちが高まっていたそのとき。
フランスへの留学が決まった。
普通に考えれば、これは喜ばしいニュースだ。実際、嬉しかった。ずっと目指していたことだし、フランス語を本場で学べる機会はそうそうない。でも同時に、それはロシア語にとっては悩みの種でもあった。
フランスの大学の授業についていくためには、今以上にフランス語力を引き上げなければならない。限られた時間の中で、ロシア語にかける時間を増やせばフランス語の練習時間が削られる。ロシア語検定の勉強なんて、とてもじゃないが割く余裕はない。
嬉しいはずのニュースが、複雑な感情を連れてきた。
僕は先生に正直に相談した。留学が決まったこと、フランス語に集中しなければならないこと、でもせっかく続けてきたロシア語を完全にやめたくはないこと。先生はじっくり話を聞いてくれて、「それなら無理せんでいい。ペースを落として続けよう」と言ってくれた。
こうして僕が下した決断は、検定は受けず、マンツーマンレッスンのペースをゆっくりにして続けるというものだった。完全にやめてしまえばせっかくの語学力が消えていく。それだけは避けたかった。半年近く積み上げてきたものを、手放したくなかったのだ。
それからの半年間、僕はフランス語とロシア語を並行して練習した。フランス語に重心を置きながら、ロシア語の火は細くても消さずに灯し続けるイメージだ。二つの言語を同時に維持するのは正直しんどかったが、それぞれの練習をするたびに、両方への愛着が深まっていくような感覚もあった。
そして、留学前の最後のマンツーマンレッスンが終わった。
最初にお願いしてから、ちょうど1年。あのとき格変化で完全に詰まって、「もうロシア語は無理かもしれない」と思っていた自分が、今では日常会話をこなし、キリル文字をすらすら読めるようになっている。先生なしではありえなかった成長だと、心から思った。
最後のレッスンを終えて研究室を出るとき、先生は「フランスでも頑張って。戻ってきたらまた続けよう」と言ってくれた。その言葉が、じんわりと嬉しかった。
3年生の前期が終わり、8月になって夏休みが始まった。出発は9月。残り1か月、僕はフランス語とロシア語を毎日交互に練習し続けた。フランス語の語彙を増やし、ロシア語の格変化を復習し、また明日フランス語に戻る。そんな日々だった。
留学中にロシア語に触れる機会がどれだけあるかは、まったくわからなかった。ひょっとしたら、しばらくロシア語と離れることになるかもしれない。でもこの1年間で積み上げたものは、そう簡単には消えないはずだ——そう自分に言い聞かせながら、僕は荷造りを始めた。
そして9月、僕はフランスへと飛び立った。

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