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オンラインフランス語学校「語楽舎」
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【ハンガリーの思い出】親と子供
自分が年をとるにつれて「死」について考えることが多くなった。自分が死んだらどうなるんだろう。もしも、彼女や家族が死んだら自分はどうなるんだろう。ただ、壊れゆく世界の行く末を見ずに済むからそれはいいことかなどと「死」についてあれこれ思考をめぐらせる。 母もたまに「死」について考え、すごくブルーな気持ちになるらしい。そんなときは、イチローみたいな人間もいつかは死ぬんだと考えると気持ちが楽になるそうだ。 人はいつか死ぬ。ただ、いつ死ぬかわからない。今日元気でも次の日に事故に巻き込まれてぽっくり死ぬかもしれない。だから、「死」について考えたって時間の無駄だ。それについて考えてブルーな気持ちになるぐらいなら彼女や家族、友達と過ごす楽しい時間のことを考えたほうがいろいろな面で有効だ。 家族とブダペストで楽しい時間を過ごせる日もついに最終日を迎えた。無事にホテルをチェックアウトした家族はタクシーで僕の家にきた。彼女(のちの妻)の家族の家だが、居候させてもらっている。僕の暮らしぶりを見せると両親は安心していた。 帰りの飛行機の時間までまだ時間がある。路面電車で市


【ハンガリーの思い出】両親とグドゥルー
父のスマホ写真のスキルは少し上達していた。4日目の朝も日課となっているホテル近くのレトロな駅に行き、駅や電車の写真を撮ったようで見せてくれたが、写真の質は最初よりもあがっていた。 この日はブダペストの隣にあるグドゥルーという街に行くことにした。ここにはバイエルン王国出身でありながら政略結婚のためオーストリア=ハンガリー帝国のハプスブルク家のヨーゼフ1世のもとに嫁いだものの、オーストリアでの宮廷生活になじめず旅行先で訪れたハンガリーを気に入り、晩年をハンガリーで過ごしたためハンガリー国民に絶大な人気があるシシーことエリザベートが過ごした宮殿がある。宮殿といってもウィーンの宮殿とは違って非常に質素なものだ。 雨の中、電車でグドゥルーに向かう。ハンガリーの電車に乗ってみたかった父は車窓から景色を楽しんでいた。1時間ほどで隣町につき、徒歩30秒の宮殿に到着した。シェーンブル宮殿とはまた違ったよさのあるグドゥルー宮殿を2人とも楽しんでいた。 宮殿内のお土産やさんに行く。テストのため一緒にこれなかった彼女(のちの妻)へのお土産と両親にシシーが描かれたしおりの


【ハンガリーの思い出】両親とウィーン
父が朝食のバイキングを食べ過ぎたようでトイレからなかなか出てこなかった。ウィーン行きのバスの出発時間が迫る。焦りながら彼女(のちの妻)と母と3人で待っているとようやく父が来た。 バスに乗り、ウィーン行きのバスが出るステーションまで向かう。その道中、母が朝食バイキングでほかの観光客と話したが「ウィーンに行く」と英語で伝えても全く理解してもらえなかったというストーリーを話した。無理もない。日本語では「ウィーン」だが、英語では"Vienna"という。そう伝えると母はドナウ川をドナウリバーとは言わないと伝えたとき以上にびっくりしていた。 ブダペストからウィーンまでは3時間の道のりだ。車内では父は爆睡し、彼女は翌日のテストに向けて勉強をしていた。僕と母は妹のことや祖母のことなどを話した。両親はこの旅行に妹も誘い、チケット代も出してあげるといったようなのだが、両親にお金のことで迷惑をかけたくない妹は断ったようなのだ。祖母はもういい年なので長時間フライトには耐えられない。祖母にももう2年会っていない。バスの中から電話をかけることにした。 「もしもし?」久しぶり


【ハンガリーの思い出】両親とドナウ川
両親に会うのは実に2年ぶりだ。2年前は僕が免許の更新のために日本に帰り再会した。あれから2年。昨日、空港で久しぶりに見る両親の顔は変わっていなかった。ただ、少し照れくさかった。 彼女と待ち合わせ場所のホテルのロビーに時間通りに到着する。2人ともぐっすり眠れたようだ。今日はまず国会議事堂の中を見学する。ブダペストの観光スポットで最も人気のあるスポットだ。残念ながら日本語のガイドはなかったので英語のガイドを予約した。ただ、母は英語を鍛えることができるのでうれしそうだった。 2人ともよく眠れたが時差ぼけのためなのか早く寝たためなのか朝4時ごろに目が覚めたようで時間をつぶすためにホテルの周辺を2人で散策したらしい。近くには昔ながらの大きな駅がある。日本のCM撮影にもたまに使われる。中に入ると大きな掲示板があり電車の発着時間を知らせてくれる。時間がわかると"パタパタ"と音を立てて、時間が表示される。この掲示板は電子掲示板ではない。父はこの昔ながらの駅と電車がひどく気に入ったらしくたくさんの写真を撮っていた。そして、滞在中毎日この駅に行っては写真を撮っていた


【ハンガリーの思い出】両親とブダペスト
僕と彼女(のちの妻)は空港で両親を待っていた。 羽田空港の飛行機の出発情報を見ていると、飛行機は無事に飛び立ったものの搭乗開始時間は30分早まったらしい。両親はそのことに気づいて早めに空港について無事に飛行機に乗れたのだろうか。 両親は今回ターキッシュエアラインを使ってハンガリーに来る。日本からハンガリーへの直行便はないのでイスタンブールで乗り換えるのだが、乗り換え時間は2時間もない。降りたら保安検査場も通過しないといけないだろう。そして、イスタンブール空港は広いだろうから無事にイスタンブールからハンガリー行きの飛行機が出る搭乗口につけるだろうか。いろいろなことが心配になった。 空港の飛行機の情報版を見る。両親を乗せた飛行機は無事にハンガリーに到着した。出口から次々にお客さんが出てくる。2人はまだだ。今かいまかと両親を待つ。すると、出口のドアが開き見慣れた顔が出てきた。自然と笑みがこぼれた。2人のもとに駆け寄り、彼女を両親に紹介し、宿泊先のホテルに向かうためのバスに乗るためバス乗り場へと向かった。 チケットを渡しバスに乗る。すると、母が彼女に"


【ハンガリーの思い出】両親とハンガリー
2019年9月のある日、妹経由で母から「近いうちにハンガリーに遊びに行ってもいい?」という連絡が突然きた。「いいよ!」と返す。すると、今度は父から旅行日程が書かれたメールが送られてきた。両親は11月の頭に来るようだ。 同棲している彼女(のちの妻)に両親が来ることを伝えると、彼女は興奮しながらも緊張していた。プレゼントになにを渡せばいいかとか、なんて挨拶すればいいかとか、何を着ればいいかとかまだ会うのは2ヶ月も先なのに心配していた。 僕も僕でいろいろ心配した。両親はヨーロッパへの旅行はかなり久しぶりなので、乗り継ぎ先の空港で迷わないか、言葉は通じるか、麻薬の売人にスーツケースを渡され安易に受け取らないかなど子供ながらに心配した。 両親も両親でハンガリーの冬は寒いか、いくら両替したらいいかなど心配していた。ただ、それ以上にケータイのことで心配していた。両親はケータイをあまり使わない。ケータイ自体持ち始めたのは僕が大学生になったときからで、スマホではなくガラケーをずっと使っている。 しかし、日本では近々ガラケーがサポートされなくなるようでこれを機に両親


【海外就職】新卒でハンガリーに就職した話
日本の大学の3年生の秋学期から4年生の春学期まで約10か月間フランスに留学した。語学留学ではなく交換留学のだったので、大学附属の語学学校への留学ではなく、大学の文学部への留学だった。 その留学生活の終盤に縁があってハンガリー人のガールフレンドができた。フランスに留学する前はまさかハンガリー人の恋人ができるなんて夢にも思わなかった。しかも、彼女は高校2年生、17歳だった。僕は大学4年生で、1浪していたので23歳だった。 留学生活が終わり日本に帰ることになり、フランスとハンガリーの小距離恋愛だったのが日本とハンガリーの遠距離恋愛になった。当初は日本で就職をして、お金を貯め、年に何回か彼女のもとを訪れ、遠距離恋愛を続けてる計画だった。 その計画通り、僕は日本で3社中2社から内定をもらった。これで就活を終了することもできたが、当時の僕はその彼女に夢中だった。そして、その恋の炎は23歳の非モテ就活生を「ハンガリーで就職する」という行動に駆り立てて行った。 まずはWordソフトで英語の履歴書を作成した。当時はChat GPTなんてものはないからネットで情報を
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